「わたしを生きる」という契約 -All of Me: autobiography-

第6章:「ありがとう」って言われたくて

自動車ロードサービスのコールセンター

そして次の会社、
自動車ロードサービスの
コールセンターに入ったのは秋。
年末年始の繁忙期に備えての
短期の派遣さんたちと一緒に研修を受けた。

途中でやめてしまう人が多くて
びっくりしたのをよく覚えている。

車の状態を聞き取り、場所を聞き取り、
レッカー移動が必要であれば
運び先である修理工場を聞き取る。

しかも聞きながら
手配用のファイルを作成しなければならない。
スピードと正確性を同時に求められる、
人を選ぶコールセンターだった。

今はスマホで写真も撮れるし、
GPSで位置情報も送れるから、
かなり楽にはなっているだろう。

「自動車」と「地理」。
好きなものを両方扱うのは苦ではなかった。
ちなみに前にバイトしていた
中古車のコールセンターも、
この二つの組み合わせである。

お盆に年末年始、大型連休。
クリーニング屋以来の、
目が回る忙しさを味わった。

大雨に大雪。
自分が住んでいない地域の天気も
気にするようになった。

だいたいトラブルにあった人は慌てている。
旅先で今いる場所がわからないことも多い。

検索と、頭に入っている地名を頼りに現場を特定する。


欲しかった「ありがとう」があった。
実際には現場にいるお客様は
それどころではない人が多かったけれど、
困っている人のために自分が働いている、
その実感がしっかりとあって、救われた。

「とんでもございません」が
本来の日本語としては誤りで、
正しくは「とんでもないことでございます」
と言うのだと先輩のマダムに教わった。
噛まずに言えるようになるまで半月、
毎日練習した。

わたしの普段のしゃべりに
突然敬語が混ざるのは、
このあたりの影響もある。

毎日対応した案件のリストを作って、
ちゃんと完了しているか確認した。
完了した案件に線を引いて、
仕事を上がる時にシュレッダーする。
小さな達成感を積み上げていった。

ただ、ミスがなくなったわけではなく、
場所を聞き間違えたり
(たとえば八日市と四日市)、
フォローの連絡を忘れることもあった。
それこそ詰めが甘くて
クレームになったこともあった。

ひたすら電話を取り続けた二年間は、
大変なことも多かったけれど
人のためになっていることが
ダイレクトにわかる分、やりがいがあった。


この二年の間に人間関係のトラブルもあった。
お酒の席での言葉によるセクハラ。

何と言われたかは書かない、書けない。
後日、所属課の管理職経由で
この件を知った人事の人から
「なんで人事に言わなかったの?」と
聞かれるくらいにはひどい。
今同じことが起きたら、
即座に懲戒処分になるレベル。

ただまあ……
わたしも言われて泣いて帰ったけど、
その後SNSに「あいつらみんな死ねばいい」って
書いちゃったんだな。
マイミクにその場にいた人もいるにもかかわらず。

結果、わたしは腫れ物になった。

でもわたしは悪くない。
だってあんなこと言うなんて
人としてあり得ない。
その場にいてそれを咎めない連中もあり得ない。
そう思っていた。

二週間近くその状態が続いて、
気分転換で劇を観に行った帰りに、
はっと気がついた。

「人それぞれにそこに至るまでの育ちや背景は違う」
「言葉ひとつ取っても、抱く印象、紐づく感情は違うのだ」と。

当日その場にいたチームリーダーに連絡して
自分の気持ちを伝えた。
自分の中ではそれで一区切りついたけれど、
腫れ物状態は続いた。

もうこれは時間しか解決できるものはないと
初めからわかっていたから、
ただひたすらに耐えて凌いだ。
百人規模のコールセンターで、
普通に話せる人がたくさんいたのは
ありがたかった。

あの日、その場にいた人たちとも、
業務上の会話から、
徐々に普通の話もできるようになった。

そしてこの事件から一年と少し後に、
新しい部署の立ち上げメンバーに選ばれる。

この時、上司から言われた
「悪いようにはしない」という言葉に
過剰に反応するようになったのは、
異動先での自分の働きに対して、
待遇が全く変わらなかったことによる。

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