次の仕事を探す
年が明けてから、次の仕事を探し始めた。
派遣会社に登録して、
いくつか顔合わせに行ったりもした。
けれど、不採用。
当時の年齢は新卒の大学生未満だったから、
採用する立場から見れば
「ちょっとなあ……」と思うのも
今ならわかる。
しかし決まらないことで
精神的にかなり滅入っていた。
採用されないことが、
「わたしという人間に価値がない」
という考えに直結する。
次がないまま、
勢いで会社を辞めてはいけないと学んだ。
特に、わたしは。
半月ほどその状態が続いて、気が付いた。
「派遣会社からの連絡を待っていてはダメだ。
動かなくちゃ」と。
そこから、毎日のように
ハローワークへ自転車で通い、
次の仕事を見つけた。
定時で上がっても、
十九時開演のライブに間に合う、
都内の会社に。
第5章:人間性と適性のアンマッチ
最初の会社は色々と雑用で
細かい仕事があったが、
社長の奥様(ここも家族経営の不動産会社だった)から、
経費清算や小口現金の管理は
お局様がやるよりもミスが少なかった、
とお褒めの言葉をもらっていた。
そこから簿記を取ってみようと、
仕事を探している期間に簿記三級を勉強、
入社してすぐのタイミングで
三級の検定を受けて合格したのだ。
経理、向いてるんじゃないかと思った。
少なくとも入社して初めの頃は。
配属は総務部。
総務部の中で、総務と経理を回す会社だった。
おじいちゃん課長と、
一回り弱年上の男性の先輩と、
わたし。
おじいちゃんは総務、
先輩が経理を主に担当して、
それぞれの補助をわたしがやる形。
総務の仕事から始めて、
慣れてきたところで経理側の仕事を
少しずつやらせてもらえるようになった。
ところが。
詰めが甘く、細かいミスが出る。
完璧に仕上げることが、できない。
会計ソフトへの入力も、
表計算ソフトを使った
売掛金や買掛金の消し込みも、
何かが抜ける。
経理の先輩と色々と話をする流れで、
血液型を聞かれた。
B型です、と答えると、
先輩はあからさまに嫌そうな顔をしてこう言った。
「B型の女と仕事するのは嫌なんだよ」
先輩曰く。
B型の女は仕事が不正確でチェックが甘い。
前任の女性もB型だったらしい。
今回の採用でも、課長と社長に対して
「B型だけは採らないで」と再三頼んだが
相手にされなかった、と。
ちなみに先輩はO型、ご夫人はB型らしい。
仕事とプライベートは別ですか、ああそうですか。
悔しかった。
ミスが減らないことはもちろんだけも、
四つしかない血液型のひとつだから、
そんな括りでまとめられたことが。
だから、B型だからと言われないように一生懸命やった。
簿記は三級はすぐ取れる、
二級からだと見て勉強も始めていたから、
独学で必死に勉強した。
簿記二級は六月の検定で、
基準点のギリギリを取って合格した。
正確には覚えていないけれど、
合格基準にプラス一点か二点とか
そういうギリギリ。
仕事のミスについては……
残念ながら減らなかった。
ミスをしては先輩の席に呼ばれ、
ミスの内容について詰められ、
詰められては泣き。
それを毎日。
経理関連の失敗だけではなく、
総務の仕事でも大きなミスをした。
部署によってバラバラだった携帯会社を
MNPを使って一社にまとめようという時にも、
不通になる時間帯が指定できないという
携帯会社の営業の話を
ハイわかりましたと了承し、
それを報告した時。
「ハイわかりましたじゃねえだろ」
在籍中で一番叱られたのがこの時だったと思う。
不通時間がコントロールできない、
日中に急に繋がらなくなったら
みんなが困るだろう、と言われて、
そこから携帯会社の営業に連絡して……
と、大変だったけれど詳しくは覚えていない。
例によってこの頃はもう精神的にボロボロだったので。
心療内科にも通っていた
(先輩には「俺の方が行きたいわ」
みたいなことを言われていた。
その気持ちはよくわかる。
当時もわかってはいたけど、今はもっと)。
ADHDという可能性
そしてこの頃、海外セレブについての
ネットニュースの記事から、
発達障害を知った。
ADHD(注意欠陥・多動性障害)。
ピンときた。
ネットのセルフチェックをすると、
見事に当てはまった。
人間関係がうまくいかないことにも、
時間感覚がおかしいことにも、
ひとつの答えになりうるものが現れたのだ。
先輩にも、自分はこれではないかと報告した。
反応は薄かった。
通っていた心療内科にも相談した。
普段から一分診療のドクターは、
「みんなあることですよ」と
全く取り合ってくれなかった。
心が折れたので通うのを辞めた。
妹にも母にも話したが、
「考えすぎじゃない?」と言われた。
特に母は、自分の娘に“障害”と
名がつくものがあるのを
認められないように感じた。
今までの生きづらさも、
感情的な辛さも。
身近な人は誰も理解してくれなくて、
ショックで悲しかった。
ADHDの診療で有名なクリニックは
全く予約が取れず、
その医師の書籍を読んで対策を勉強したりした。
以前から自分で実践していることもあって、
やっていたことは間違っていなかったんだなと嬉しくなった。
余談だが、独立してから知能テストを受けた。
明確な特性はなかった。
これは環境的な要因もあるから、
この頃受けていたら凹凸が
はっきりと出たかもしれない。
自分の特性を見越した対策をすることで、
うっかりが改善されることもあれば、
そうでないことも当然あった。
仕事のミスは特に、減らなかった。
そんなある日、先輩に言われた。
「障害を免罪符にするなよ。
障害があるから仕方ないとか言うなよ」
直後はショックだったけれど、
すぐに「その通りだ」と思い直した。
「だからできない」ではなくて、
「だからどうするか」を考え、
対策を練るようになった。
この頃は、もう諦めて他を探せ、と言われたのか、
自分でそう判断したのか覚えてないけれど、
この会社を辞めて次を探す方向で動いていた。
毎日詰められることは変わっていなかった。
終いには経理に関する仕事は
全て取り上げられてしまっていた。
でも、先輩もわたしのこれからを
一緒になって考えてくれた。
よっぽど早く追い出したかったのだろう。
気持ちはわかる。
前回、次を決めずに会社を辞めて
失敗した反省を生かして、転職活動をした。
「長期スパンの仕事はミスするから、
ひとつひとつがすぐに解決する
テレホンオペレーターが良いんじゃないか」
という先輩のアドバイスをふまえて、
転職先はコールセンターを探した。
短期スパンで片付くということも
理由の一つではある。
しかし何より、わたしは
「ありがとう」と人から感謝されることに飢えていた。
次の会社は、自動車ロードサービス関連の
コールセンターに決めた。
この毎日わたしを詰めてきた男性の先輩は
社会人としてのベースを作ってくれた人だから、
向こうは二度とわたしに会いたくはないと思うけど、
直接会ってお礼を言いたいくらいには感謝している。
毎日詰められたのに?血液型で差別するのに?
……そう、そうなんだよ、そうなんだけどね。
自分が働いている会社の商品をちゃんと把握して
理解することが必要、とか、
ビジネス雑誌を毎月読んだ方がいい、とか
色々教えてくれたのだ。
「中途採用ってのはこういうことがわかっていて当然なの」
みたいなことを言われた記憶もあるけれど
(そしてそれはごもっともなんだけど)
この教えは今もちゃんと覚えているから、
注意するとすぐ泣く後輩女子に、
胃をキリキリさせた日々は
無駄になっていませんよ、とは
伝えたいかもね。
あなたのお陰で完全な
血液型占いアンチになりました、
とも言いたい。
ちなみにわたしは結構好きで、
仲良くなりたいと思っていたんだよ。
こういう片思い的アンマッチって
あるなあと実感したのは、
中学校の時に部活で
徹底的に無視してきたた子以来。
この時にさすがに学んで
「受け入れてくれない人に
気に入られようとするのはやめよう」と思った。
