第3章:わかっていても負け戦
進学した公立校を選んだ理由は、
“同じ中学校の子が少ないから”。
それ以外のことは、
ほとんど調べずに決めたように記憶している。
つまらなければやめれば良い、と思っていた。
結果的に、この高校を選んだのは正解だったと思う。
色んなことに全力でいられて、
良くも悪くもきちんと燃え尽きることができたから。
何の気なしに入った高校は、
自主自律を掲げ生徒主体で様々な行事を運営する学校だった。
こんなことも自分たちでやるなんて面白いな、と選んだ委員会が、
わたしの高校生活の大きな柱のひとつになり、
その後の人生にも小さくない影響を与えることになる。
それは、卒業式を企画・運営する委員会だった。
企画や運営で動くのは二年生まで。
一年生は役員をやり、
二年生では委員長になった。
事前準備、そして当日の司会。
めちゃくちゃ大変だったけど、
ものすごい充実感と達成感を味わったから。
二年生になる頃、
一年生の時に役員だった先輩や同学年の子たちに
「今年も一緒にやりましょう!」と
パッション高めのメールを送った。
でも、続けて委員会に入ってくれた人はほんの数人だった。
いや、わかるよ。
準備や運営以外で本当に大変だったから。
しかも一応進学校だし。
それでも、呼びかけに応じてもらえなかったことがショックで。
それは自分の求心力が足りないことへの落胆とか、色々な要素があった。
そして、準備以外に大変だったこと
ーー学習指導要領の改訂の影響で、
生徒のアンケート結果に基づく
式の運営ができないことによる、
生徒と学校の度重なる堂々巡りの話し合い。
いや、わかるよ。
みんな、旗が体育館にあったって、
歌を式次第の中で歌ったって、
きっとどちらでも良いことは。
でも、入学式の時、
体育館の演台の向こう、
壁にかかった大きな絵
(これは美術部の人たちが
卒入学式に合わせて毎年描いてくれていた)
がとても素敵で。
わたしは絵をかけ続けていたそこに
旗を掲げることが嫌だったのだ。
負け戦でもやらなければならない戦いというのは、
人が信念を掲げる限り、確かに存在する。
そのわかりきった負け戦で、
先頭に立つことを選んだのは自分。
高校生活の中で何を一番学んだかと言われたら、
それは「権力には勝てない」ことだと思っている。
本格的な準備シーズンに入る前、確か秋頃。
プレッシャーやその他色々なものに負けたわたしは、
三回分の風邪薬を一度に飲んで眠りについた。
そのまま目覚めなければ良い、そう思いながら。
しかしまあ残念なことに目覚めてしまった。
わかりきっていたが到底足りなかったのだ。
けれど目が覚めてしまったことで諦めた。
死ねなかったから頑張ろう、と。
がむしゃらにそこからの半年を走りきり、
ちゃんと戦には負け、
でも式そのものはきちんとやりきって。
そしてちゃんと燃え尽きた。
期末の物理のテストは十二点だった。
もうひとつの大きな柱だったのが文化系部室。
いくつかのオタクな同好会が共同で使う部室である。
一年生の一学期に、
好きなキャラクターのキーホルダーを
通学バッグにつけていたのを
クラスの子が見つけてくれたのが先だったか。
その子がサークル側で参加する同人誌即売会に、
わたしが幼なじみとコスプレをやるという話をして、
コスプレしたままブースにあいさつに行ったのが先だったのか、
今となっては覚えていないけれど。
その辺りをきっかけに、部室に出入りするようになった。
登校してすぐ顔を出し、
授業の間の十分休みも昼休みにもそこにいた。
放課後は下校時間近くまで入り浸って
漫画を読んだり、
ノートパソコンを持ち込んで
小説を書いたりしていた。
ほどよい距離感で、
干渉しすぎずに過ごせる部室は
とても居心地が良かった。
文化系がなければ、
おそらくわたしは高校をやめていた。
人生もやめていたかもしれない。
お弁当も部室で食べていた。
当時は冷蔵庫もありポットもある、
昇降口の近くにあるにもかかわらず
立派な魔窟であり、
やりたい放題の空間だった。
散らかっていた部室を掃除したり、
ごみ捨てを当番制にしたり、
居住性を高めるために手を加えたりした。
そう、本来わたしは仕切り屋なのだ。
目立たないようにしてきた中学校時代の反動か、
思い切り出しゃばって、
部室の空気の乱れにも物申したりして、
わたし自身もやりたい放題だった。
それは正義感からくるものだったのだろうけれど、
今思えば驕りもたくさんあった。
未だに驕ってしまう場面はあって、
その度にあの頃の自分の振る舞いを思い出しては
心の中で顔を覆う。
