婚活と自己啓発
小学校の同級生から紹介してもらった
旦那さんの同僚とのデートは、
別れた後にダメ出しのメールを
出さずにいられないくらいにはひどくて、
鉄板の持ちネタにできる内容である。
だって大型ショッピングセンターで映画を観た後、
レストラン街をスルーして車を出して、
「おいしいお店知ってるんです」って連れて行かれたのは
ハエが飛んでる古びた中華屋だったんだもの。
払ってくれていた映画のチケット代を
その場で返すくらいには”なかった”。
震災から間もなく、わたしを含めて
生き方を見直す人が多かったとはいえ、
重いわたしでも「これは重い……」と
思うくらいの球を投げ込まれたデートだった。
豪速球の鉛球だった。
ダメ出ししたわたしはえらいと思う。
紹介してくれた同級生にメールで報告すると
「それはあり得ん」と謝られた。
ちなみにこの同級生は、
日払いのバイト先だった倉庫で
お母さんがパートをしていた
小学校一年生からの友達である。
少しヤンキー気質で喧嘩っ早くて、素直な子だった。
彼女は、わたしが結婚してから
病気で亡くなった。お嬢さんはまだ小学生だった。
その後も殿方とデートしたり
お付き合いをしたりしたけれど
うまくいかなかった。
「あの子の分」を背負っている分、
わたしは重い女だったのだ。
基本仕様が重いのに、
そこにトレーニングウェイトを
つけたような重さだった。
それでも、鉛球ほどではなかったと思う。
そう思いたい。
ネットで調べて見つけた
個人経営のボディケアサロンに通うようになった。
仕事でもボロボロ、プライベートもボロボロ。
せめて身体は整えたい。
心身ともにボロボロだったわたしを
オーナーさんは何かと気にかけてくれ
地元に戻るまでの数年間は、
こちらのサロンで大変お世話になった。
オーナーさんのブログを読んでいて、
とあるセラピーを知り、
セッションを受けに行った。
そこでボロボロと泣き、
そのセラピストさんからすすめられて受けたのが、
自分を見つめて向き合う講座。
平たく言ってしまえば自己啓発だが、
教えを押し付けるわけではなく、
自分の中にある宝物の見つけ方を
やさしく説いてくれる講座だった。
講師の方がお話ししてくれた
自分の身体、心臓に感謝する話は、
自分が高校生の頃に考えたことと重なって、
間違っていなかったのだと嬉しかった。
他にも、自分が今まで考えてきたことを
講師の口から聞くことで、自信にもつながった。
ここから、さまざまな講座やセッションを受けまくることになる。
仕事の頑張りが評価されない、
私生活もうまくいかない。
この時のわたしには自分を掘り下げて、
自己価値を高めることに救いを求めていた気がする。
のめり込みやすいわたしは、
良いカモだったのかもしれない。
元々面白そうなものには
すぐに飛びついてしまうタチだけれど、
わたしが知っている以上のわたしを知るために
興味があるものはだいたい受けた。
スピリチュアル
受けたセッションの中には
スピリチュアル系のものもあった。
そもそも祖父母が信心深く、
帰省すれば講話を一緒に聞きに行き、
またもう一方の祖父母は神道だったので、
告別式では焼香ではなく玉串奉奠である。
亡くなった後は神になるのだ。
死んだら神様になれるから
わたしは神道!と思っていたし、
今もその気持ちはゼロではない。
小学生の頃に取っていた、
今は懐かしい学研の学習と科学で
付録としてついてきた
アメジストとローズクオーツは
家を探せばたぶんまだあるし、
中学生でタロットカードを手にし、
高校の授業で瞑想を経験したわたしだ。
控えめに振り返っても親和性が高すぎる。
瞑想をやったのは国語の授業で、
同じ教師が国語を担当していた先輩は
「あれはちょっと……」と言っていたが、
目を閉じて自分に潜ることを
以前からやっていたから何の抵抗もなかった。
授業で瞑想を扱ったあの先生は
元々変わってはいたが、
マインドフルネスのマの字もない時代、
今思うと先取りにも程がある。
もっとも、瞑想で脳を休めると
「これくらい眠ったのと同じ休息を得られるよ」
というアプローチではあったけれど。
そして月の光に導かれる
セーラームーンど真ん中の世代。
太陽系の天体はセーラームーンで覚えた。
占星術に触れ、
テレビや新聞で見る十二星座占いには
さらに先があり、
他の天体もあわせてトータルで読むと知った衝撃と、
カテゴライズされないユニークさに
どれだけ救われたかわからない。
ちなみに人生のバイブルは
セーラームーンと、
続きが気になりすぎて夢に見た
ガラスの仮面である。
第8章:未来のひらきかた
自己啓発の界隈についてくるのは起業である。
会社に勤めて評価されることを軸に置いて、
「自営業だなんて不安定だから怖い」
そう思っていた自分にはこれまた大きな衝撃だった。
今でこそ副業や複業が謳われているけれど、
会社で評価されない現実に
うちのめされていたわたしには、
“自分の能力で稼ぐ”起業が救世主に見えた。
わたしは起業を念頭に置いて動き始めた。
震災後は、人生後悔しないように生きようと決めた
キラキラ起業女子が次から次へと湧いていた時代である。
まずは起業の入門講座を受けるところから始め、
自分に求められているものを提供する。
同じ講座を受けている人のブログ周りを
整えるところから始めた。
ブログのカバー画像やバナーを作ると、
出力したときに文字がボケて気持ち悪い。
色合いや文字の大きさ、位置。
なんとなく良い感じにはできるけど
自分の中で手応えがない。
結果、迷う。
作ることは好きだし、得意。
けれど、かつて専門在学時代に
曲が作れなかったのと同様に、
完成形が見えないもの、
自信を持って完成と言い切れないものの壁があった。
就業規則を破ってまで大胆に副業をやろうという気はなかった。
あわよくばという思いがなかった
……と言えば嘘になるが、
前述の通り仕事がハードだった。
シフトの中でやりくりしながら
(休日はだいたい何かを受けていた)
思いっきり動くのは物理的に不可能だった。
それでも、仕事以外に自分の世界があることにかなり救われた。
会社には年上のパートさんも
たくさんいたけれど、
あくまで関係は社員とパート。
仕事に関係ない年上の知り合いができたのが良かった。
この界隈では当時二十代後半の自分は若い方、
可愛がってもらえていたと思う。……たぶん。
セッションの中で自分を疫病神だと思っていた話をした。
疫病神という気持ちは薄れていたけど、
「それは相手に変化を与えているだけ」
人から言ってもらえてかなり心が楽になった。
形があるもの、ないもの。
手が届く範囲で色んなものに触れに行った。
元々知りたがり、知りたガールなのだ。
もちろん今の自分にに生きているものも、
そうでないものもある。
ただ、これがいつ生きてくるかわからないのだ。
祖母に「無駄なものはひとつもない」と小さい頃に教わった。
戦前戦後を生きてきたから
出てくる言葉だったのかもしれない。
それがいつしかわたしの中では
「人生に無駄なことはひとつもない」に変わっていた。
これが指すのは物ではなく、経験。
どんな経験も、人生の糧になる。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」とは
さすがにもう思っていない。
買い集める必要はないのだ。
苦労のゴミ屋敷の住人になりに行かなくていい。
「いつか生きるかもしれないけど、
こんな苦労したくないんだわ……」と
言いたくなることもある。
あと、興味があるのに
我慢をしていると病む。
やってみて納得する必要があるのだ。
「これは合う、これは合わない」
「この人はブログの感じは良かったけど
喋り方が気になって話が入ってこない」
難儀な女。
そう、わたしはフットワークが軽い反面、
色々と重たくて難儀な女なのだ。
別れと出会い
立ち上げから携わった部署は四年と三ヶ月在籍した。
三年半が過ぎた頃、
大幅な人員の削減があった。
これは初めから聞いていた。
人が必要なのは二、三年で、
その後は解体もしくは縮小することになると。
しかしまあ、
いざ働いてくれている人たちに縮小を伝えて、
今後どうするかという話をする段階になると、
これがかなり堪えた。
その話をするのはわたしではないにもかかわらず、である。
管理職と面談をして戻ってくる彼らを、
どこかぼんやりとした気持ちで眺めていた。
大混乱だった立ち上げからずっといてくれて、
震災も一緒に乗り越えて……。
わたしも色々と疲れ果ててしまって、
そして社員だから同じ立場に立てない自分が
みんなを裏切っているような気がして、
あまりきちんとお別れが言えなかった。
仕事の負担は軽くなり、残業することも減り。
プライベートでも少しごちゃっとしたので
部屋の更新のタイミングで地元に帰った。
片道二時間の通勤。
始発駅から座って寝て、終点で乗り換える生活。
ちなみに寝過ごして折り返すことも数回あった。
電車の座席のヒーターは魔物である。
そしてそんなある日、
上司から告げられたのは本社への異動である。
そうですかもう用無しですか、御役御免ですか。
この、のらりくらりとした最後の上司とは
とことん折り合いが悪かった。
こちらの部署にいた四年と少しのうち、
半分以上の期間におけるわたしの人事権を
握っていたからでもある。
なぜ自分が昇進できないのかと
人事面談の度にくってかかっていた。
人生で一番嫌いな人間は誰かと聞かれれば
迷わずこの人だと答える。
足の小指を角にぶつける呪いなどでは生ぬるく、
身体的な不快感がいつまでもなくならない、
そんな呪いをかけたくなるくらいには嫌いだった。
過去形にできているのは、
それを思い出す時間がないほどに
やることがあり充実して来ているからである。
自分の送別会ではその嫌いな上司も、
四年前にわたしに「悪いようにはしない」
と言ったかつての上司も来て、
「悪いようにはしないなんて言ったくせにとんでもなかった。死ぬまで恨むからありがたく恨まれろ」
くらいのことを参加者全員の前でぶちまけてきた。
泣いていたと思う。
そんなこんなで、
わたしの人生を変えた支店を去った。
お花はかさばるから餞別は図書カードで、
とお願いしたことを、今では少し後悔している。
あの頃は、お花をもらう嬉しさが
まだわからなかった。
たぶん、花束では片付けられない感情を
抱えすぎていたのだと思う。
本社に戻ってからは、
今までとは違う業務をやることになった。
そして完全な土日休みになった。
ちなみにこのタイミングでようやく昇進した。遅すぎる。
自分を生かして働くための学びは続けていた。
そして婚活も。
そんな中、ネット上で出会ったのが夫である。
メッセージのやり取りを重ねて、
初めて会った時に思ったのが
「あー、この人と結婚しそう〜」だった。
とんとん拍子でお付き合いをすることになり、
結婚前に同棲することになり、
……準備を進めていたある日。
会社で上司からこの先の展望を聞いて
「あ、このままだと結婚後に仕事でバタバタしそう」
そう直感した。
同時に、「飛び込むなら今だ」という確信もあった。
その場で「結婚するので退職します」と宣言。
本社に戻ってから一年半で退職した。
この時はありがたく花束をいただいた。
素直に受け取れる余裕と、これからへの期待があった。
